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2021.01.30 ...

父が他界した。

「父」という漢字は本当に父の顔を思い出すよな。

父はこんな顔だった。


絶対泣かないだろうなと思っていたんだけど

泣いた。

遺体を見た時とか

棺に入ってる所とか

遺影とか昔の写真とか

ちょいちょいうるっとしてたけど

帰りの新幹線で大泣きしてしまった。

今まで

マツコデラックスの

「人は悲しくて泣くのではない驚いて泣くのだ」

という意見を支持していたが

どうやらそれも違うようだ。


僕は悲しくて泣いたわけでもないし

驚いて泣いたわけでもない。

どうして泣いたのか

父との思い出を妻に話している途中で泣いた。

こんな思い出だ


小学校何年だろう

まだ十歳にも満たない歳だった気がする

僕は一人で父の待つカジュアルなバーの様な店に行った

父はカウンターに一人座っていた。

父はタバコを吸いながら

おそらくビールを飲んでいた。

父がタバコを吸う姿などはじめて見たし

後にも先にもこれ一回きりだった


とそこまで話している途中で

僕は言葉を発せられなくなるくらい泣き出してしまった

まさに「嗚咽」ってやつだった。

話の続きは


はじめて見るタバコを吸う父の姿は

家で見る「お父さん」ではなく

妙に色っぽい

外の顔、ダンディな男の姿だったので

僕は動揺してしまい

その動揺が父に伝わったのだろう

父は優しく微笑みながら

「父さんがタバコ吸うの嫌か?」

と言った。

僕はどういうリアクションをしたのか覚えていない

「うん」と言ったのか

返答に困ってしまい

首を傾げたのか

ともかく父は

「じゃあ、やめとくな」と

タバコの火を消した。

ただそれだけの話だ。


なんで泣いてしまったのか?

懐かしいからなのか

思い出の中の父の優しさからなのか

僕が父のキャラクターを語る時

「優しい」なんてワードは一切思い浮かばない。

友達にはいつもどうしようもない父親のエピソードを語ってきた

でも死んでしまうと

どうしてこんなに優しかった姿ばかり思い出してしまうのだろう

いや、きっと父は優しい人だった

毎週末、山や川や海。自然のある場所へ連れて行ってくれた。

子供たちを喜ばせるために

きっと必死になって考えて行動してくれたんだと思う


お通夜の後

葬儀の朝

夢に父が出て来た。

「色々すまんな。ありがとうな」

と言っていた。

一年近く会ってなかったんだけど

最後に会えた。


こちらこそだよね。

「色々ごめん。ありがとう」だ。




2020.12.27 ... 職場にて

「TENET」って映画、観た?

という声が聞こえてきた。

それに対する

「あ〜、ぼく話題作観ないんですよねぇ」

という返しが聞こえてきた。

「悲しい答えだな」と僕は思った。

もし自分の好きな映画監督の作品が話題作になったら

やっぱり観ないのだろうか?

でもね

穴があったら入りたいって気持ちも少しはあるんよ

あったあった僕も

「流行りのもんなんて!ケッ!」って時あった!

高校生くらいの時やけど。

恥ずかしいねぇ。

なんで「人が好きなものを否定してはいけない」って

誰も教えてくれないのだろう?

僕は否定してしまったことがあるよごめんなさい。

否定ばかりしていると誰も口を聞いてくれなくなります。

否定されるために話しかける人なんていないからね。

みんな共感したいから話しかけるのだ。当たり前だ。

なんで男女交際を精通が来る前から大人がちゃんとサポートしないのだろう。

と『リトル・マンハッタン』という映画を観て思った。

今「男女」と打ったら

「男女七歳にして席を同じにせず」という言葉が予測変換で出てきた。

あぁ悪しき風習よ。

これはこれで何か理屈があるのだろうが

今の引きこもりやらストーカーやら虐待やら自殺やら鬱やら

人間関係異性同性恋愛関係が上手くできなかったりの

原因になってることが多いと思うぜ。

なのになぜ子供の頃からそれを教えないのだろうか?

絶対通らなくてはならない道だし、

一生付き合っていかなければならない問題なのに。

2020.11.24 ...

BLOG、毎月更新中

2020.11.24 ... 中学聖日記

というドラマを観た。

内容をまったく知らないのに

タイトルだけで気になっていたくせに

今まで見ていなかった。

男子中学生と担任の女教師の恋の話。

どうして惹き込まれるのか

どうして最後まで観てしまったのか

ドラマはわかりやすくするために恋の話になっているが

自分の好きなこと

やりたいこと

そういうことを

親、先生、社会に

「いけないことだ」

「まだこどもだから」

勝手な大人都合で否定され

無理やりにも引き裂かれた記憶が呼び起こされ

心を引っ掻くのではないのだろうか

そして、やめてしまった人も

続けている人もいるだろうが

10年、20年、月日が経った今でも

「自分は間違ってなかったのではないだろうか」

「やっぱり間違えているのは世間や社会なんじゃないだろうか」

「人が好きなことをやることを否定することこそ間違いなのではないだろうか」

と思っている大勢の人たちの心にひっかかったのではないだろうか

と文字を打つぼくの心は

澄み切ってざわつきがおさまらない。

澄み切っているというのは

とても不安定なことなのだろう

危うさを秘めたことなのだろう

まるで劇中のピアノの音になったみたい。

「責任」という言葉が飛び交うご時世だが

世間で語られる「責任」=「金」なのではないだろうか

金を稼ぎ、払う人には誰も文句を言わない。

責任も金で買えてしまう。

ならば「金」の稼ぎ方をこどもたちに教えるべきだ。

親より子(例えば小学生)が稼げば

大人のメンツ丸潰れ

「金」の稼ぎ方より大事なことがあるというのなら

はやくそれを提示したまえ。

2020.11.01 ... 所得倍増

10月内にブログ間に合わなくてショック。

まぁ単なるぼくの怠慢だが。。。

 

タイトルについて

外で飯を食うと

「なんでこんなもんに金払わなあかんねん」と思うから

ぼくはほぼ自炊しているけども

自炊という行為。。。食材を買いに出かけ、調理し、器を出し、食い、片付け、洗い物をする。

どれだけ早くやっても一時間はかかると思う。

それを短縮し「ぽんっ」と食物が出てくるのであれば

それは千円未満の金でうまいものを望むのは違うのかもしれないね。

 

うまいものを食いたければ

高い金がかかるのは仕方がない

なぜ高い金と思うのか

物を買う時になぜ「高いなぁ」と思うのか。

それは給料が安いからです。

日本の平均給与が倍になればいいのです。

悪いのは高い物ではなく日本の給料が安いことなのです。

と思ったからこのタイトルにした。今こそ所得倍増。

 

給料倍って

やろうと思えばできるんじゃない?

って思っているのはぼくだけ?

2020.09.30 ... 2016年、インドでのライブ


Youtubeのコメント欄に書いたように

音質、画質、パフォーマンス

どれもかなり悪いけど

この雰囲気は貴重だと思って公開してみた。

またすぐ非公開にするかもしれんけど。

 

映像記録というのは本当に重要。だとぼくは思う。

ただ自分が好きなだけか。。。

映像撮るの好きです。

カメラ回すのも好き。

勉強したいな。

ひたすら作品を作り続ければ良いのかな。

とカメラを回しながらこの文章を打ちました、と。

 

2020.08.30 ... こどもとおとな

幼稚園の頃

「クラスの中で誰が好きなん?」

と大人たちから聞かれて

おそらくぼくは「そんなもんおらん」とムスッとしていた。

ナメられてるように感じたし

(実際ナメられてんだけどね)

なんだか大人たちのそのニヤけ面が気に入らなかった、

いつもと違う表情がなんとも気持ち悪かった。

おそらくそれはぼくがはじめて見る「性的な感情を垣間見せる表情」だからだろう

本気で不愉快だった。

 

今思うと上記の「ニヤけ面」って

セクハラする時の面に似てる気がするんだよね。

 

セクハラ。。。パワハラもだけど

する人って子供の時に自分が不愉快なことされてたんじゃないかなぁって思う。

ぼくは不愉快を前面に押し出して対抗していたけど

そういうことできなくて大人からされたら仕方ないって受け入れてしまう人もいると思う。

「へっへっへっ…、大人ってやつぁそうやってコミュニケーション取る訳ですかい。わかりやした。あっしも真似させていただきやす。」

ってな感じの人もいると思う。

 

人間ってされたことを他人にやれるってぼくは思ってる

悪いことも良いことも

それが幼少期の親だったり先生だったり

尊敬できる人からされたものほどやれるんじゃないかって思う。

まぁ、親から殴られてたら他人を殴るハードルも下がるってこと

他人を殴れない人は自傷に走る。

愛された人にとって愛すことは容易い。

 

まぁなにが言いたいかって言うと

こどもだからってナメんなよってことだよね。

ぼくは大人になった今、

もし過去の自分に会えるなら

「大人の言うことなんて一切聞かず、自分でしっかり考えて行動してほしい」と言いたい。

でもやっぱり子供だから

「尊敬できる人、師匠を見つけなさい」と言いたい。

これは難しいよなぁ。

ぼくは結局師匠を呼べる人に出会えなかった。

影響を与えてくれた先生は一人いた。

ぼくは師匠に会いたい。

でもいないから、いろんな人の「いいな」と思う部分を真似して生きてる。

2020.07.13 ... 続・選挙

 

前回のブログ「投票いってきた」の次の日

Charaさんのツイートに胸打たれた。

以下引用ツイートだ。

「選挙に行かなかったのは 

 なんでですか?

 どんな理由があるのかしら」

 

くっ!

さすがCharaさん。

その投げかけ方はドキッとするぜ

ベスト盤ですまんが「caramel milk」聴きまくってたぜ

今きづいたがあれはまさか

「charamel milk」ってことだったのか。。。??

 

まぁ、ともかく

ぼくは投票日前日まで、いや当日でさえ

「行かないでおこうかな…」と思ってた。

かなり「行く」「行かない」で揺れていた。

 

なのでCharaさんのツイートは

「なんでいかないでおこうと思ったんだろう」

と改めて考えさせてくれるものだった。

 

 

理由その1、自暴自棄になっていた。

2、投票よりも立候補だろ。と思っていた。

3、なんか暑苦しくてしんどいなと思った。
 (政治の話になると
 すっごいムキになって
 自分がどれだけ正しいかの話しかせんし、
 考え方変えていく柔軟性全然感じんし
 冷静に話してくれる人なかなか見んし。みたいな)

4、前回にも書いた圧力的なものや
 投票=善、投票しない=悪みたいな構図を勝手に感じ、
 自己の中で勝手に作り上げた
 世の中の風潮というやつに
 反抗してやりたいなとか思ったりもした。

5、なんか選挙ってダサいな。そんなに投票を促すなら俺様が腰を上げようと思うようなアイデアを絞り出し、coolでスタイリッシュな俺様好みの選挙に作り変えてみろよ。と謎の上から目線が生じたりも0.1%位していた。

 

 

なんか、やっぱり

かたっくるしいなぁ。疲れるなぁ。

楽しくとか、おもしろくって無理なの??

ぼくが勝手に堅苦しくつまんなく考えているだけなのだろうか?

 

で、結果ぼくは投票に行ったのだけど

つまりそれはごちゃごちゃ言った上記1〜5の理由も

「違うかもな」という思いがあったからなのだろう。

自分でも自分が分からない。おもしろい。

 

投票に行った理由は

「考えるより行動」派として生きていきたいから?

投票所が学校だから

学校を見るのが好きだから

というのもある。

自分の学校時代には絶対戻りたくない。

学校は大嫌いだったけど

学校、という場所は好きだ。

2020.07.05 ... 「投票いってきた」

的なツイートしたことあったなぁ。何年も前。

その頃のぼく、何をしたかったんだろ…。

 

ちゃんとしていることをアピールしたかったんだろうなぁ。

「投票行ってる俺」が少し誇らしかったんだろうなぁ。

「ちゃんと投票いったのか!おまえは!?」

と後ろ指さされないための防御壁を作っておきたかったんだろうなぁ。

優越感のようなものも少しあったんだろうか…。

学校で

「先生!ぼくちゃんとやってますよ!」

ってアピールしてる奴みたい。

褒められたいんかい! ……誰に??

なんかとっても恥ずかしい、その頃の自分。嫌いだな。

まぁ…見様によってはかわいいのか??

 

とタイムラインにちょくちょく流れてくる

「”投票いった”ツイート」

を眺めながら思うのでした。

もちろんタイムラインの人たちは嫌いじゃない

昔のぼくのような恥ずかしい下心なく

「今起きたこと」

をツイートしただけなのだ。

 

 

選挙の時期になるたびに「投票いきました?」「投票いきましょうよ」

と言ってくる人に出くわす。

その人たちにまったく罪はないんだけど

前回のblogからの続き?で

ぼくそういうの苦手だ

圧力に感じてしまうんだよなぁ。

 

 

誰に投票したか(するか)なんて言う必要もないし

投票行ったかどうかをなんで答えさせようとするのだろう。

 

あと投票行くことが正しい、行かないと悪

って決められてるみたいなのが窮屈だ。

「じゃあぼくは正しくない。悪でいいや」

ってなっちゃたりね。

そしたら争いにしかならない。

そいつぁよくねぇなぁ。

 

 

でも選挙について議論するのは好きよ

持論を展開している人の話を聞くのは好き。

とにかく「〜しなさい」と言われること、またはその匂いがすることがダメなのだ。

本当にダメだ笑

 

2020.06.30 ... 6月中にアップしたかったから無理矢理書く

年を追うごとに自分についていた嘘がどんどん剥がれていく。

 

・左手がウズウズする。

ぼくは元々左利きだったようだ。

食事のマナーに良くないという方針の親に矯正させられた。

箸を右で使っているうちに右を使うようになったらしい。

ピアノにのめり込んだのは左を蘇らせようとしていたのかな?

それとも左手(右脳?)の逆襲かな?
 

 

・甲殻類アレルギー

元々エビの匂い苦手だった。うえっってなってた。

中学高校あたりで天丼とか食べられるようになって

「好き」ってなったこともあったけど

5年ほど前に「やっぱりダメ」ってなってきて今では匂いだけで気持ち悪い。

なんていうか「食べられないことは情けないこと、恥ずかしいこと」

「克服することは素晴らしいこと」という観念に支配されていた気がする。

ダメなもんは仕方ない、諦めることを教えてくれた気がする。
 


 


・ぼくは思っていた以上に精神的に弱い。

前から分かっていたけどものすごく神経質で、思っていた5倍くらい精神的に弱い人間だ、ぼくは。

これも「強くあらねばならない」という気持ちが大いに邪魔をしていたよう思う。

まぁ「強がる」というやつだ。

長く強がっていると本当に強くなったように勘違いする。

弱さを忘れてしまう。弱さを見なくなる。見られなくなる。自分のも、他人のも。

それに「ぼくは弱い人間で(ポロリと涙)」と弱いことを武器にしているやつらに対する

「ああいう人間にだけはなりたくない」という嫌悪感もあった。

今思うと「弱さを武器にする」って賢いというかそれこそが強さなのかもとか思う。

まぁぼくは「ズル賢さ」を好きになれない性格でもあった。

 

 

だからと言って急に今「ぼくはとても弱いのでいつも優しく接しなさい」と言っても通らない時代だ。

いや、そんなもんいつの時代でも通らない。

無理のないようにやっていくしかない。

 

 

・ぼくは社交的ではない。

「社交的に振舞っていたこともあったが全然続かない。全然ダメ。集団の中でうまくやれたことがない。」

ということを書こうと思ったけど。

週間プレイボーイの好きだったコーナーでクドカンが

「そんなん逃げだ、ダメ」ということを言っていて

すごく的を得ていると思ったのでやめておこう。

 

 

……と思ったが、それは「人見知り」についてだった。

クドカン自身も「ぼく人見知りなんですよ〜」とよく言っていたらしいんだけど

それは言っちゃダメだろ逃げだろって思ったんだって。

 

 

ともかく

すべての人にあるように、ぼくにも色々と問題がある。

と気づいたこのごろ。

 

 

【追記】

あ、このブログ最低月1回は書くね。

どうやら見に来てくれている人がいるらしい。。。カンだけど。

誰かに「読んでます!楽しみにしてます!」と言われた訳では無い。

誰一人そんなことは言ってくれない(ぼくらしくて良い)

ただ第六感が言うんだ。

「待ってる人がいるよ」

ってね。