幼稚園の頃
「クラスの中で誰が好きなん?」
と大人たちから聞かれて
おそらくぼくは「そんなもんおらん」とムスッとしていた。
ナメられてるように感じたし
(実際ナメられてんだけどね)
なんだか大人たちのそのニヤけ面が気に入らなかった、
いつもと違う表情がなんとも気持ち悪かった。
おそらくそれはぼくがはじめて見る「性的な感情を垣間見せる表情」だからだろう
本気で不愉快だった。
今思うと上記の「ニヤけ面」って
セクハラする時の面に似てる気がするんだよね。
セクハラ。。。パワハラもだけど
する人って子供の時に自分が不愉快なことされてたんじゃないかなぁって思う。
ぼくは不愉快を前面に押し出して対抗していたけど
そういうことできなくて大人からされたら仕方ないって受け入れてしまう人もいると思う。
「へっへっへっ…、大人ってやつぁそうやってコミュニケーション取る訳ですかい。わかりやした。あっしも真似させていただきやす。」
ってな感じの人もいると思う。
人間ってされたことを他人にやれるってぼくは思ってる
悪いことも良いことも
それが幼少期の親だったり先生だったり
尊敬できる人からされたものほどやれるんじゃないかって思う。
まぁ、親から殴られてたら他人を殴るハードルも下がるってこと
他人を殴れない人は自傷に走る。
愛された人にとって愛すことは容易い。
まぁなにが言いたいかって言うと
こどもだからってナメんなよってことだよね。
ぼくは大人になった今、
もし過去の自分に会えるなら
「大人の言うことなんて一切聞かず、自分でしっかり考えて行動してほしい」と言いたい。
でもやっぱり子供だから
「尊敬できる人、師匠を見つけなさい」と言いたい。
これは難しいよなぁ。
ぼくは結局師匠を呼べる人に出会えなかった。
影響を与えてくれた先生は一人いた。
ぼくは師匠に会いたい。
でもいないから、いろんな人の「いいな」と思う部分を真似して生きてる。