父が他界した。
「父」という漢字は本当に父の顔を思い出すよな。
父はこんな顔だった。
絶対泣かないだろうなと思っていたんだけど
泣いた。
遺体を見た時とか
棺に入ってる所とか
遺影とか昔の写真とか
ちょいちょいうるっとしてたけど
帰りの新幹線で大泣きしてしまった。
今まで
マツコデラックスの
「人は悲しくて泣くのではない驚いて泣くのだ」
という意見を支持していたが
どうやらそれも違うようだ。
僕は悲しくて泣いたわけでもないし
驚いて泣いたわけでもない。
どうして泣いたのか
父との思い出を妻に話している途中で泣いた。
こんな思い出だ
小学校何年だろう
まだ十歳にも満たない歳だった気がする
僕は一人で父の待つカジュアルなバーの様な店に行った
父はカウンターに一人座っていた。
父はタバコを吸いながら
おそらくビールを飲んでいた。
父がタバコを吸う姿などはじめて見たし
後にも先にもこれ一回きりだった
とそこまで話している途中で
僕は言葉を発せられなくなるくらい泣き出してしまった
まさに「嗚咽」ってやつだった。
話の続きは
はじめて見るタバコを吸う父の姿は
家で見る「お父さん」ではなく
妙に色っぽい
外の顔、ダンディな男の姿だったので
僕は動揺してしまい
その動揺が父に伝わったのだろう
父は優しく微笑みながら
「父さんがタバコ吸うの嫌か?」
と言った。
僕はどういうリアクションをしたのか覚えていない
「うん」と言ったのか
返答に困ってしまい
首を傾げたのか
ともかく父は
「じゃあ、やめとくな」と
タバコの火を消した。
ただそれだけの話だ。
なんで泣いてしまったのか?
懐かしいからなのか
思い出の中の父の優しさからなのか
僕が父のキャラクターを語る時
「優しい」なんてワードは一切思い浮かばない。
友達にはいつもどうしようもない父親のエピソードを語ってきた
でも死んでしまうと
どうしてこんなに優しかった姿ばかり思い出してしまうのだろう
いや、きっと父は優しい人だった
毎週末、山や川や海。自然のある場所へ連れて行ってくれた。
子供たちを喜ばせるために
きっと必死になって考えて行動してくれたんだと思う
お通夜の後
葬儀の朝
夢に父が出て来た。
「色々すまんな。ありがとうな」
と言っていた。
一年近く会ってなかったんだけど
最後に会えた。
こちらこそだよね。
「色々ごめん。ありがとう」だ。